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【EEI】食の進化ワークショップ「創発するテクノロジーのガバナンス」を開催しました

2026.10.13
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同じ技術に対して、なぜ社会ごとに異なる反応が生まれるのか。新技術のガバナンスを専門とする研究者を招き、細胞農業を題材にこの問いを掘り下げるワークショップを開催しました。

日時:2026年7月31日(金) 9:30
講演者:David U. Socol de la Osa, Assistant Professor at Hitotsubashi University's Legal Innovation Department
タイトル:Governing Emerging Technologies Across Sectors: Novel Foods, Sustainability, and Regulatory Coordination

 講演はまず「法とは我々とは縁遠く、堅固で、ゆっくりとしか動かないものだ」という通念に疑問を投げかけるところから始まりました。Socol de la Osa先生は会場を見渡し、そこに着物姿の人が一人もいないことを指摘します。洋服という選択肢が日本語の語彙にすら存在しなかった時代から現在に至るまでには、輸入の制度、産業の育成、社会的受容の積み重ねがありました。漢方と西洋医学の関係も同様で、医療制度の整備から漢方エキス製剤の保険適用に至るまで、制度が幾重にも重なって現在の重層的な医療が形づくられてきました。したがって、法は我々とは縁遠いものであるどころか、我々自身がまさにガバナンスの力によって調整してきたものです。

 そうしてここから、技術の統合に働く力を明示的なものと暗黙的なものに分ける枠組みが示されました。明示的な力とは法律・免許・査察といった目に見えるルールであり、権威の源泉が公的か私的か、執行力が強いか弱いかという2つの軸で整理されます。日本のAIガバナンスが拘束力のない任意ガイドラインを中心に進んでいることは、ソフトローの典型例として挙げられました。

 一方、暗黙的な力は、上部構造と下部構造に分けられます。前者は社会が技術を何のためのものと信じているかという観念の層であり、後者は実験施設やエネルギー、物流、資本へのアクセスといった、実際に何を作れるかを決める物質的な層です。そのため、上部構造だけではガバナンスの力は発揮できません。そうして「国家の反応は誰かが選んだ選好ではなくシステムの出力である」という定式がここで提示されました。

 講演の中盤では、技術そのものの定義が問い直されました。技術には物理的な基盤と知的・社会的な基盤があり、両者が相互に強化し合うときにはじめて耐久性をもちます。この観点からAIと細胞農業を対比すると、AIは物理的な実装がすでに否定しがたい水準に達しているのに対し、細胞農業は依然としてスケールやコスト、製品品質の実証に大きく依存しているという整理が示されました。

 産業革命期のラッダイト運動にも言及がありました。機械を破壊した繊維労働者たちの争点は機械そのものではなく、それが誰の賃金と権力をどう組み替えるかにありました。抵抗は、技術の擁護者が見落としがちな分配上の利害を映し出すものだと述べられました。

 続いて、新技術のガバナンス上の現代的な手法として、急速な技術発展や社会変化に合わせて、政府や企業がルールや制度を「継続的かつ迅速に見直し、アップデートしていく統治の仕組みとしての「アジャイル・ガバナンス」、政府だけ、あるいは特定の企業だけでルールを決めるのではなく、国、企業、消費者、市民社会、学術機関など、影響を受けるすべての多様な関係者(ステークホルダー)が対等な立場で議論に参加し、協調して意思決定やルール作りを行うプロセスとしての「マルチステークホルダー・プロセス」、どのような手段・手順を守るべきかを細かく規定するのではなく、達成すべき結果や目標を定め、その達成方法は各主体の裁量や技術的な工夫に委ねる手法としての「アウトカム基準ガバナンス」の3つが紹介されました。とりわけ3つ目については、細胞農業をどう規制すべきかではなく、食料システムは何を実現すべきかという問いから出発し、安全性、強靭な食料インフラ、安定的で手頃な市場、戦略的自律という望ましい成果から逆算して設計する考え方が、具体的な指標例とともに示されました。

 講演の後半では、細胞農業について言及されました。そこでは、鶏の飼育から細胞株の選定、培地の調製、バイオリアクター、収穫、コールドチェーン配送に至る12の工程が図示され、ガバナンスの対象が想定よりはるかに広いことが確認されました。最終製品は見慣れた食品に似ていても、リスクに関わる差異は生産プロセスの内側にあります。したがって、最後のモノだけでなく、その作業工程や投入物や管理まで含めて評価する必要があるという指摘がなされました。

 さらに、近年台頭する国家安全保障の観点についても、慎重な検討が加えられました。細胞農業は、食料供給の不足に備える能力を与え、研究資金やインフラ整備は加速しうる一方で、それだけで開発が正当化されるわけではありません。そこではさらに公共目的、制度的信認、参加、レジリエンスという条件が依然として問われる必要があります。

 講演後には、参加者との質疑応答が行われました。そこでは、リスクの不可逆性をどう扱うかという問いから始まりました。培養肉の研究者からは、技術的な汚染リスクは制御可能である一方、真の課題は食経験の蓄積の不足にあるとの指摘がありました。これに対して先生は「実験室では人間が完全にリスク管理を担っているが、農場では人間と免疫系のある牛がリスク管理を分担しているともいえる」と応答されました。その他にも、細胞密度と変換効率という技術的ボトルネック、新奇なものを恐れる心理をどう捉えるか、日本の産業が新技術の採用に慎重であることの背景など、論点は多方面に広がりました。

 今回のワークショップは、細胞農業という具体的な題材を通じて、技術と社会のあいだに働く力を見取り図として描き出すことを目的としていました。講演とディスカッションを通じて、規制の多寡ではなく規制の設計こそが問われているという視座を、参加者のあいだで共有することができました。

(記事作成:矢歌礼次郎)